郷田真隆さんが村山聖さんについて語る


故村山聖九段は羽生世代の一人で、東の羽生、西の村山と並び称された棋士です。
広島出身ということで関西に所属していましたが、
東で羽生さんが七冠を取り、自身がA級になった時期に関東にやってきます。
動画で郷田九段は村山九段の将棋を、
「野性味溢れる、生きていたらどういう将棋を指すかなと時々思う」
と述べていますが、
順位戦で173手の死闘を演じた丸山九段や羽生さんは次のように述べています。

大崎善生著「聖の青春」より

「この将棋は負けを覚悟していました。
あの局面で桂を打たれれば勝てないことも知っていました。」と丸山は言う。
しかし、丸山は最後まで諦めなかった。
村山には村山の順位戦があるように、丸山にも丸山の順位戦があるのである。
「ひらめきをあやつるような将棋」と丸山は村山の将棋を表現する。
どんなに自分が深く読んでいたつもりでも、それは必ず村山の読みの範疇にある
というジレンマと丸山はいつも闘っていた。
驚異的な勝率をあげ無敵といわれた丸山の先手腰掛け銀に、
後手番を持ちながらも真っ向勝負を挑まれ、歯が立たない相手が村山であった。
丸山にとって村山こそが超えなければならない、
倒さなければならない相手だったのである。

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「本能的な感覚のよさに加え、20代になってからは序盤が非常にうまくなりました。
研究に基づいた理論的な面と、感覚の鋭さがうまくかみ合って強さとなっていました。
村山さんが少し悪いかなと思うような局面での、勝負手を見つけ出す本能的な嗅覚は、
真似できない独特の凄さがありました」と羽生は言う。
村山には見えない海を見ていた羽生は、
羽生に見えない海を見る村山に畏敬の念を抱いていた。
センス、感覚、本能。
羽生が語る村山将棋の特徴は経験や努力では埋められないものばかりである。


動画で郷田九段は病気のことは最初から知っていたと述べていますが、
村山九段は5歳の時に、
ネフローゼという腎臓の病気にかかっていることが判明していました。
同じ部屋で入院している自分より年下の女の子が死んでしまう、
という環境の中で、何か気晴らしにと父が教えたゲームのひとつが将棋で、
病院のベッドでひたすら本を読んで勉強したそうです。
「ひらめきをあやつる」ってどんな事なんですかねえ。
丸山九段の言うことは面白いけど難しいです。

※2015年1月29日追記
ネフローゼをフロネーゼと書いている 箇所があったので訂正しました。
コメントでのご指摘ありがとうございました。 
また、動画がリンク切れだったので修正しました。

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