先崎学八段による電王戦第2局の観戦記がきました。

第2回将棋電王戦 第2局 電王戦記(筆者:先崎学)1/22/2
※5図と6図が逆になっているので注意してください。

先崎学八段は羽生世代の一人で、故米長邦雄永世棋聖の弟子です。
小学校四年生の時に内弟子として米長先生宅に住み込み、
林葉直子女流とともに師事していました。
五年生の時に奨励会5級で入会して10ヶ月で2級まであがり、
各地の天才少年が集う奨励会の中にあって「天才先崎」とニックネームがつきました。
ところがここから大きく躓き、
同世代の羽生三冠、森内名人、佐藤九段、郷田九段といった面々に追い抜かれていきました。
その後プロ入りするまで羽生さんと話すこともできなくなり、
記録係りも「羽生先生」と呼ぶのが嫌だからという理由でしなくなったそうです。
それでも17歳でプロ入りですから相手が悪かっただけだと思いますけどね。
そんな先崎八段がプロ棋士が初めてコンピュータに負けた対局の観戦記を、
プロは恥を売るのが商売だから仕方ない」で締めたのは印象的でした。 

プロ入り後はNHK杯で優勝したり、順位戦ではA級入りしたりと活躍されましたが、
多才すぎたせいか囲碁や麻雀、パチスロ、等々いろいろはまり、
棋士・先崎学の青春ギャンブル回想録なんて本まで出してしまうほどです。
将棋の棋理ではなく棋士にスポットを当てたエッセイも多く、
文豪としても才能を発揮されています。

下記は若かりし頃の先崎学八段が、中村修九段、郷田真隆九段と一緒に
北海道へバカンスに行った時の様子を書いたものです。

将棋世界1998年6月号より

舞台は海の幸をたらふく食べた後に入ったスナック。
女の子に囲碁と将棋の違いを説明している時のことだった。
酔った(多分)中村さんがいった。
「囲碁の盤の上にはところどころ目印がついているんだ。将棋盤の上にはそれがない」
なかなかに気がつかない、中村さんらしい説である。
たしかに碁盤には九つ、漆が盛り上がった点がある。そこを星といえ。これは間違いない。
だが将棋盤になかったかなあ。
先崎、郷田はしばらく沈黙した。なにせ一週間以上将棋盤を見ていない。
将棋のことなど一瞬も考えていない。自信がもてない。
やがて、おずおずと郷田が切り出した。
「そうでしたっけ、中村さん。将棋盤にも星みたいな飾りが付いていたんじゃあなかったっすか」
中村さんが「あのねえ」といった。「付いてないって」。
先輩である。その話はいったん終わった。
しばらくくだらない話をした後、郷田がぶつぶつ呟きだした。
「やっぱり付いているっすよ中村さん。そう付いている。四つついている」
「はあー、付いていないって、そんな点なんかあるわけない」
ある、ない、ある、ない。我々はもめた。両者とも一歩も譲らない。
酔っ払いがくだらないことでアツくなるのは世の常である。
それに、二人とも頑固なんだ、これが。
「ある、ある、ある。あるといったらある。大丈夫ですか中村さん」
「ない、ないに決まっている。だいたい郷田も何年将棋をやっているんだ、ないものはない」
「中村さんこそ本当にタイトルを取った男ですか、ある、あ、り、ま、す」
「いや、絶対にない」
この絶対という一言が郷田の闘志に火を付けた。郷田軍の進撃がはじまる。
「中村さん、今、絶対といいましたね。ぜえったい、ですね」
「ああ絶対だ」
「絶対ってことは100%ないってことですね、じゃあ僕が百円ここに出します。
百円と百万円で賭けましょう」
「あのなあ、お前、そういう極論……」
「極論は中村さんじゃないすか。万が一つも間違いないなら、百円貰い得でしょう」
「……」
「ほら中村さん、百円、あげますよ」
僕は正直いってあるともないとも確信が持てなかった。横で女の子が呆れだした。
「二人とも、本当に将棋指しなの」
このままでは埒があかないので、誰かに電話して聞いてみようということになった。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いの羽生の家にジーコンジーコン。
「ねえねえ先崎だけど」
「なんですか、こんな夜中に」
「いや、実は(中略)で、あるかないか分かる、できれば見てくれない」
羽生も呆れたのだろう。
「悪いけどもう寝てるんで、そんなのいちいち見る気しないよ、けど、あるんじゃない」
席に戻って二人に、羽生がたしかあるんじゃないかといっていたと伝えた。
その時の中村さんの台詞はカッコ良かった。
「羽生時代もこれで終わった」
その後の羽生の活躍はご存知の通り。あるかないかは皆さんの盤で確かめて頂きたい。
そう、市販されている九割の盤の上には、ひっそりと、存在を恥ずかしがるかのように……。

やっぱり勝負師は意地っ張りでないと。

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