丸山忠久九段は奨励会試験を二度落ちた苦労人です。
二度目は二次試験で現役奨励会員に一勝し、本来ならば合格だったようですが、
この年は受験者が80人以上で、合格者は20人の決まりだったため
不合格になってしまいました。
ところがこの試験の直後、奨励会の下部組織である研修会が発足します。
有料の将棋塾ですが、成績がよければ奨励会に編入できるということで、
若かりし頃の丸山少年は研修会に入りました。
研修会の発足が数年遅ければ丸山名人は誕生しなかったかもしれませんね。

丸山九段は勝ち将棋になったときの手堅さから激辛流と言われ、
その指し手は友達をなくす手とも言われます。
それでは勝負に辛い勝負師タイプなのかというと、私はまるで違うように思います。

第25期竜王戦七番勝負第2局、2日目の午後はすでに丸山九段が劣勢という局面でした。
ニコニコ生放送では羽生さんが解説していて、こんなことを言っています。
「丸山さんは劣勢の将棋だと結構淡白なんです」
「もう投了するかもしれない」
この後粘るか粘らないかのアンケートをとったりとなかなかフリーダムだったのですが、
劣勢の時に淡白な人って勝負師とは言わないですよね。
また、羽生さんは
「ものすごく渋い手を指すときもあれば切り込んでくる手を指すこともあって、指し手が読みにくい」
とも言っていました。羽生さんをして宇宙人、それが丸山九段です。

丸山九段はあまり話したがらないタイプで、話しても抽象的なことが多いのですが、
名人戦を防衛した直後のインタビューで次のように述べています。

将棋は抽象的なものですから、 人それぞれにとらえ方が違うと思います。
強くなるときは、 新しい価値観を発見した時です。
将棋にはそういうおもしろさがあります。
新しい手をあみだすというのではなく、
つぎつぎに応用がきく価値観を発見するということです。
<中略>
価値観がないところでいくら読んでも無意味だと思います。
価値観に照らしあわせてこそ意味があります。
<中略>
人間の生き方でも、 思いつきで行動するのと、
しっかりした価値観に基づいて行動するのとでは結果も変わってくると思います。
価値観の向上は自分を向上させるものだと思います。
<中略>
また、 新しい価値観は、 自分の考えが煮詰まっている時に、
普段の生活の中でふと気づくことも多いものです。

丸山九段は奨励会の三段リーグに上がったとき、
 四段になればプロですので普通ならば将棋にいっそう打ち込むと思うのですが、
「ほかの世界も見たかった」と、
自己推薦制度を利用して早大社会科学部に入学しました。
価値観を向上させ、価値観から指し手に落とし込むという考えを徹底しています。
私はこのインタビューを読んで、
戦略の階層という話とつながるのではないかと思いました。
英レディング大学院で地政学や戦略論を学び、
博士号をとられた奥山真司さんという方のブログに、次のように書いてあります。

宇宙観(死生観、哲学・宗教観、魂、アイデンティティー)

世界観(人生観、歴史観、地理感覚、心、ヴィジョン)

政策(生き方、政治方針、意志、ポリシー)

大戦略(人間関係、兵站・資源配分、身体、グランドストラテジー)

軍事戦略(仕事の種類、戦争の勝ち方、ミリタリーストラテジー)

作戦(仕事の仕方、会戦の勝ち方、オペレーション)

戦術(ツールやテクの使い方、戦闘の勝ち方、タクティクス)

技術(ツールやテクの獲得、敵兵の殺し方、テクニック&テクノロジー)

丸山九段の言う価値観が宇宙観にあたるのか世界観にあたるのかはわかりませんが、
(哲学と考えれば宇宙観?)
上位の階層から下に落とし込むことを徹底している丸山九段を、
勝ち方が辛いという戦術レベルを見て激辛流と呼ぶのはちょっと外れているのかもしれません。
深夜にカロリーメイトで栄養補給をする丸山九段を見て、
千葉涼子女流が言った「用意周到丸山流」の方がよさそうに思います。
こちらの方が普段の生活からすでに対局に向かっているといった意味も含んでそうです。

また、上記の竜王戦を1-4で敗退した直後の打ち上げの席で、
観戦記者に次のように述べています。 

将棋世界2012年2月号

私は丸山について次のようなエピソードを記した。
数年前に丸山の観戦記を初めて担当し、後日に電話取材をしたときのこと。
解説者の指摘した有力な順を丸山に尋ねると、
「それは感想戦でやってないのでわかりません」という返事だった。
丸山は勝負にマイナスになるようなことは口にしない主義なのだろう、と。
だが、そういうことではない、と丸山はいう。
「あのとき指摘された順は、実践ではまったく考えませんでした。
だから私にとってはまったく思い入れがないんです。
そこを後からつついても響くものはないし、残した棋譜に対して敬意を欠いている気がします。
<中略>
例えば私が1枚の風景画を描いたとします。でも後から、
『あそこに月を加えたほうがよかったんじゃない?』と言われても困ります。
たとえそうだとしても、その発想がない人間に言っても仕方ないと思うんですね。
<中略>
将棋は2人で作るものなので、対局相手が指摘した場合はもちろん別ですよ。
そのときはわかる範囲でお答えします。
ただ解説者の指摘に答えても、それは解説者のための解説になってしまう。
だから『感想戦でやっていないのでわからない』と言ったんです。」
こちらの目をまっすぐに見据えながら、丸山は説明してくれた。最後に、
「こちらも言葉が足りない部分はあったので」と言って笑顔を見せた。

技術の階層の話だとそっけない答えの丸山九段ですが、
宇宙観や世界観の階層の話だとこれだけ饒舌に語ってくれます。
風景画に月を加えるとなると、キャンパスに配置する山、川、木といった
部品の構図も変わってしまいますし、
雲も加えてみようといったように部品の種類も変わってしまいます。
また、もっとも美しい風景画を描こうとして、
昼間の山が主役の風景を描く人と、夜の月が主役の風景を描く人では、
宇宙観や世界観がまるで違うでしょう。
上位の階層から下に落とし込むことを徹底している丸山九段にとって、
残した棋譜というのは自分の哲学が現れたものであり、 
『あそこに月を加えたほうがよかったんじゃない?』という問いかけは、
そのまま普段の生活や価値観の形成に入り込むものなのかもしれません。

ということで、私は丸山九段のことを美学の男、芸術家タイプと思っているのですが、
皆さんはどうでしょうか。 



ブログランキング・にほんブログ村へ