大昔ですが、佐藤大五郎九段が中原誠名人との対局で、
鬼殺しという手をくりだしたことがありました。
中原名人は鬼殺しには付き合わないで駒組みを進めたのですが、佐藤九段が
「こんな将棋、名人に対して失礼だ」
として10手で投了しました。
当時は格に相応しい堂々とした将棋を指さなければならないという考え方が主流でしたので、
投了した佐藤九段に潔さを感じますが、
なんと名人戦という大舞台で、普通の定跡形は指さないと宣言した人がいます。
それが米長邦雄名人に挑んだ羽生善治四冠(当時)です。

当時の将棋界には、
日本の村社会のような年功序列を重んずる伝統や暗黙のルールがありました。
将棋界の第一人者たるもの、少なくとも若いときには居飛車党の正統派でなければならない、
名人戦のような大舞台では、将棋の純文学たる矢倉を指すべきだ、
大舞台で先手を持って大先輩棋士を相手に飛車を振るなんて、などなど。
当時23歳で名人初挑戦だった羽生さんは、
盤上は自由であるべきだという主張を大舞台の前で宣言し、大きく話題になりました。
羽生さんは著書である「決断力」のはじめにで次のように述べています。

巷には、「米長、頑張れ」の声が満ちている。それは当然、私の耳にも届いてくる。
対局前から”様々な反響”が起こった経験をしたのはこの時が初めてだった。
何の苦労もなくのし上がってきた二十三歳の若い棋士と、当時、五十歳、
数多の挑戦と挫折をくり返して、ついに栄光を掴んだ「中高年の棋士」米長先生との対決―――
こういう構図を描かれてしまえば、それは米長先生を応援したくなるというのが人情というものであろう。加えて、私は名人戦を前に物議をかもしていた。
<中略>
周囲には、「羽生、討つべし」との非難の声が広がっていたのである。
<中略>
こうした雰囲気のなかで第六局は始まろうとしていた。
その前の三日間。私は、本当に真っ暗闇の道を一人で歩き続けている気持ちだった。

真っ暗闇の中と回想するようなアウェーの中、
羽生さんは4-2で勝ち、名人位を獲得して五冠になりました。
この後前人未到の七冠を達成し、
格や伝統といったものにこだわらなくても強くなれるということを身をもって証明しました。

今は羽生さんの盤上は自由であるという思想が広まり、様々な戦形が指されています。
王様を囲わずに攻める藤井システム、後手なのに更に一手損をする一手損角換わりなどは、
昔の棋士が見たらこんなの将棋じゃないと怒るかもしれないくらいです。
そのような中羽生さんは特定の戦形にこだわらず、
さまざまな戦形を指しこなすオールラウンドプレイヤーとして今も活躍しています。
また、他の大棋士は○○流などと呼ばれるのに対し、
羽生さんにはそのような呼び名がありません。
谷川浩司十七世名人なら光速流、中原誠十六世名人なら自然流、
米長邦雄永世棋聖なら泥沼流、
といったように指し手の特徴から呼び名が付けられるのですが、
盤上で自由に指す羽生さんには特徴のつかみどころがないということでしょうか。

ちなみに将棋世界の企画で、読者から投稿してもらった呼び名を羽生さんにみせたところ、
無相流が気に入っているとのことです。
無相とは姿・形のないこと、一切の執着を離れた境地、
という意味でぴったりなように思いますが、
○○流といった言葉にとらわれない方が自由な羽生さんに似合ってるかもしれませんね。