「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
母が縫い物に使う三尺の物差しの裏にこう書置きをして、
数えで十五歳、満十三歳で家を飛び出した升田幸三実力制第四代名人の自伝です。
時代背景について
升田名人が生まれたのは1918年、第1次世界大戦が終わった年でした。
ここから第2次大戦が終わり、
升田名人(当時は八段)がGHQ呼び出されて大演説をするまでで、
本のページの3分の2を占めます。
1981年に升田名人が大山康晴の挑戦を退けた対局の棋譜と解説が最後で、
戦前からから戦後にかけての混乱期の様子が、
戦争の悲惨さを書こうといった色眼鏡を通すことなく生き生きと描かれています。
また、将棋界では関根金次郎十三世名人が三百年続いた一世名人制を廃止し、
実力によって名人を決める実力制名人戦が開始され、
1937年に関根十三世名人は名人位を退きました。
これにより誰にでも将棋の実力があれば名人になれる機会が与えられました。
さらに1951年から王将戦がタイトルとしてスタートし、
3勝リードするとリードされた方が駒を落とすという指し込み制が採用され、
升田少年が夢をかなえる道が整いました。
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目次
わが最大の腕白事件/極道親父と優しかった母/剣豪の夢破れ将棋の道へ/
決意を物差しに残し家出/天ぷら屋に勤めてみたが/また文無しで広島を出奔/
木見八段宅にたどりつく/将棋どころか雑用ばかり/とうとう「初段」になった
<棋譜>第1番 初陣の譜
強くなって生意気ざかり
<棋譜>第2番 恩返しの譜
”大山いびり”伝説の真相/母の愛で死の床から帰る/
忘れえぬ恩人・坂田三吉/宿敵・木村名人との初対決
<棋譜>第3番 宿敵見参の譜
軍隊三年の空白の後に……
<棋譜>第4番 無念、逸機の譜
強運に恵まれて死地から生還/怨敵・木村との五番勝負
<棋譜>第5番 会心、圧勝の譜
<棋譜>第6番 怨敵三連破の譜
GHQ高官の度肝を抜く/悲憤忘られぬ高野山の決戦
<棋譜>第7番 痛恨、高野山の譜
名人を侮辱する者への怒り
<棋譜>第8番 駅馬車の譜
打倒木村に燃えて名人戦へ/「陣屋事件」の真相
<棋譜>第9番 指し込み第一号の譜
弟弟子・大山を差し込む
<棋譜>第10番 指し込み第二号の譜
二十四年の夢ここに成る
<棋譜>第11番 空前絶後の譜
名人位も獲得、三冠を独占
<棋譜>第12番 三冠達成の譜
将棋指しになってよかった
<棋譜>第13番 わが最高傑作の譜
あとがき
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日本一の将棋指しになりたいと思った時に、
名人になりたいではなく名人に香車を落として勝ちたいと言ったところに、
升田名人の反骨精神が伺えます。
また、当時は関東と関西での格差が大きく、
例えば東京の六段は給料が百三十五円でしたが、
大阪の升田六段の給料は二十五円でした。
こんなことから升田名人、
ひいては関西の将棋界は東京の木村義男名人を宿敵とみなしていました。
打倒木村を掲げて名人という権威に挑み、
新手一生をかかげて定跡という権威に挑み、
名人を相手に香車を落として勝つという夢をかなえ、
三冠達成、名人防衛で自伝が終わるというところまで、
反骨精神がにじみ出ていると思います。
ところが打倒名人から離れ、普段の生活の描写になると、
戦前戦中とは思えないほど生き生きとした人々の生活が描かれています。
小林さんは大酒飲みで、飲むと気が大きくなり、友だちを連れてハシゴをする。
カネを持っとるうちは問題ないが、懐中が底をつくと、木見先生に使いを走らせ、
しりぬぐいをしてもらう。
当然ながら先生の奥さんは、小林さんを毛嫌いしておった。
ある日、例によって使いがやってきたんだが、よほど虫のいどころが悪かったのか、
奥さんが先生に取り次がず、玄関払いをくわせた。
しょうことなしに小林さん自身が出向いてき、奥さんと、カネ貸せ、貸さんの押し問答です。
ことわられるとほかに行く先がないから、小林さんもトコトンねばる。
そこへ先生が、廊下を踏み鳴らし、こわい顔して現れた。
「毎度つけあがりおって、けしからんやつじゃ。きょうはわしが灸をすえたるッ」
こういうなり居間に引っぱりこみ、ピシッとフスマを閉めてしまった。
さあ、それからが大騒ぎです。
パチンパチンとたたく音がするわ、物を投げる音がするわ。そのたびに
「悪かった、こらえてくれ」と小林さんが悲鳴をあげる。
私はちょうど庭掃除をしとりまして、なにが起こったかとガラス戸ごしにのぞいたんですが、
なんのことはない、先生は自分の手を叩いとる。
物を投げるにしても、てんで方向違いへほうっとる。
そうしながら自分のフトコロから財布をとりだして、小林さんのタモトにねじこんでおる。
やがて「待てッ」という先生の声を合図に、小林さんがころげるように逃げ出した。
これがまた芸がこまかくてね、玄関でゲタを片方だけ突っかけると、
勧進帳の弁慶が六方を踏むように、ケンケンしながら外へ消えちまった。
あまり二人の芝居がうまいんで、私はあきれたり感心したりだったが、
奥さんは知らぬがホトケです。
長い間の溜飲が下がったっちゅう顔で、ニコニコ笑っておりました。
この本は全文がこんな調子で、少年時代に大道詰め将棋で稼いだこと、
魚雷が飛んできたり爆弾が落ちてきたりする戦争体験、
戦後にGHQに呼び出され、
取った駒を自分の兵隊として使う日本の将棋は人道に反すると言うGHQ高官を相手に、
言いたい放題を言って将棋の文化を守ったこと、
木村名人を指し込んだこと、大山名人を指し込んだことなど、
事件だらけの半生を上記のような独特な口調で書かれています。
本に詳しくは書かれていませんが、この後ライシャワーさんと講演をしたり、
ケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ司法長官にお説教したりと、
この時GHQ相手に言ったことがどれだけインパクトがあったかが伺えます。
よくまあズケズケしゃべりまくったもんだと升田名人は述懐していますが、
ズケズケしゃべる映像も残っています。
MA☆SU☆DA
動画では運、勘、技、根と言っていますが、
本の中でも魚雷がきわどくそれたり、爆風で吹っ飛んでも傷を負わなかったり、
私には強運があったと思うと書いています。
そんな場所に行くことになったことを運が無いと思うか、
その後の体験から運がいいと思えるかのメンタルの差が、
最後に将棋指しになってよかったと思えるかどうかに繋がるのかもしれないと、
若輩ながら思いました。